プロジェクト終了後も越境EC等で支援へ 一発屋で終わらせない
——成功するプロジェクトに共通しているのは何ですか?
齋藤 社内でよく話している方程式は「認知度×好き度(ファン数)×リワードの特別感=支払総額」です。まだコアなファンが少ない場合は、リワードに特別感を持たせて尖らせたり、さまざまな工夫が必要です。「MATCHAさんがなんとかしてくれるんでしょ、あとはよろしく」と丸投げされる場合は、なかなか成功するのは難しいかもしれません。やはりプロジェクト発起人が主体性を持って、自ら試行錯誤しアピールすることが重要です。もちろん、MATCHAとしても全面的にサポートさせていただくことは大前提ですが。実は今、掲載をお断りしている事業者さんも出てきています。単にモノや商品を売りたいだけだったり、実施目的が弱い場合です。あくまでもJapan Tomorrowは、海外の人達と接点を持つことを重要視していて、そこに本気で取り組んでいただける方々と一緒にやりたいと思っていますから。
——齋藤さんのパーソナルな部分もお聞かせください。MATCHAさんに入社したきっけは?
齋藤 2012年に、代表の青木(参考記事)と出会ったことがきっかけです。僕が大学1年の時に、確か青木は大学5年生でした(笑)。世界一周に行っていたことで青木のブログを読んでいて、そこから青木が朝活をやっていることを知り、一度参加してみようと思ったのがリアルでの出会いでした。そこで「MATCHAを立ち上げるんだけど、手伝わない?」と誘われました。それからは、毎日のようにFacebookに英語で投稿を上げる作業をしてました。気づけば、1万いいね!くらいまでは無課金で獲得できるようになったのがうれしかったですね。
その間にニューヨークに留学もしていました。世界から日本がどう見られているのかを知りたかったからです。アメリカに行って気づかされたのは、自分が日本のことを何も知らないことでした。神社とお寺の違いは? なぜお辞儀するの?といった質問をされても正確には答えられませんでした。1年間の留学の後日本に戻り、一度は就職しておこうと考え、広告代理店に就職しました。そこでは大きな仕事もあり、たくさんのことを学ばせてもらったんですが、もっと自分自身でプロジェクトを動かしている実感がほしくて、MATCHAに戻って働くことに決めました。
——Japan Tomorrowの今後の展開は?
齋藤 今、考えていることはふたつあります。ひとつめは、クラファンのプロジェクトだけでは一発屋で終わってしまいがちなので、事業者さんを継続的なお手伝いができるようにしていきたいです。たとえば、Japan Tomorrowで成功した商品を海外(台湾、シンガポール、アメリカなど)での卸先を見つけて、取引契約までお手伝いするとか。現地展開まで行うことができたら事業者さんにも喜んでいただけるのではと思っています。現状でもクラファンのプロジェクト終了後は、越境ECとしても活用いただけます。
もうひとつは、大型のプロジェクトをやっていきたいということ。大きなイベントや、何周年記念などのプロジェクトを行う事業者さんと組み、日本人だけじゃなく海外にもアピールできたらと考えています。今、いくつかプロジェクトは動き始めています。まだ内緒なんですけどね(笑)。