デジタルの施策だけに閉じていては生活者に届かない
デジタルマーケティングの登場以降、多くの企業がデジタル施策に偏重する傾向も見られたが、従来のアナログ的なマーケティング手法も見直され、現在では両者を組み合わせることが「常識」ともいえる状況になってきた。
その理由のひとつとしてイーリスコミュニケーションズの鈴木睦夫氏が挙げるのは、「生活者は、デジタルもアナログも縦横無尽に行き来している」という現実だ。たとえば通勤中のビジネスマンは、スマホでウェブ広告を見ることもあれば、特に意識することなく中吊り広告が目に入ることもある。デジタルの施策だけに閉じていては、アナログでしか届かない無数のタッチポイントを逃してしまうことになる。
また、デジタル施策でリーチできる数には限界があると鈴木氏は指摘する。
「たとえば、Eメールのオプトイン率は約30%。開封率は約20%といわれています。つまり、最終的にリーチできるのは顧客全体の6%程度にすぎないということです」
一方で、アナログ施策まわりの技術は大きく進化しており、デジタル施策と組み合わせてシームレスに活用できる環境が整ってきているという。その代表例が、カート落ちした商品を掲載して24時間以内に発送するというディノス・セシールのDMだ。
「印刷内容がパーソナライズされていることに加え、送るタイミングを決めているのが事業者ではなく、ユーザーの行動であることが重要です。この『ユーザートリガーDM』によって、これまでデジタルのEメールで行われていたのと同じことを、より開封率の高いDMで実現できるようになります」
「タイミング」を意識したコミュニケーション設計が重要
コミュニケーションの4大要素といわれる「ターゲット」「タイミング」「クリエイティブ」「オファー」の中でも、鈴木氏は特に「タイミング」を重視している。
「同じクリエイティブでも、タイミングを最適化することで、効果が大きく上がります。昔は難しかったのですが、今はデジタル技術の進歩によってユーザー行動などのタイミングが容易に把握できるようになりました。せっかくデータドリブンでマーケティングに取り組むなら、タイミングを意識したコミュニケーション設計をするべきです」
ユーザーが購買(コンバージョン)に至るまでには、「認知」「興味」「検討」などの段階を経る。まず、コミュニケーションしようとしているユーザーは今、どのステージにあるのかを把握すること。そして、現在のステージから次のステージに遷移させるために有効な施策を考えることが重要だという。
「あらゆる施策は、ユーザーを次のステージに向かわせるために行います。その手段はデジタルかアナログかにこだわる必要はなく、もっとも安くて効果が高いものを選べばよいだけです」
PARCOカードの利用最大化に向けた取り組み
デジタル、アナログを含めたマーケティング施策を実践する際には、何から始めればよいのだろうか。鈴木氏によれば「施策をいきなり作り始めるのはダメ」で、施策設計に入る前に全体を俯瞰して、ビジネス課題や購買プロセスの整理、施策案の洗い出しなど入念な準備が必要だという。
セッション後半では、特にこの前段の作業の重要性を示す事例として、パルコ グループデジタル推進室デジタル推進担当 部長(※プロジェクトスタート時は都心型店舗グループ本部CRM担当 部長)の野中健次氏を交え、現在進行中の「PARCOカードの利用最大化」に向けた取り組みが紹介された。
パルコでは、顧客情報を取得できるタッチポイントとして、クレジットカードの「PARCOカード」、公式スマホアプリ「POCKET PARCO(ポケットパルコ)」、ECサイト「PARCO ONLINE STORE」を持つ。3つの中で母数がもっとも多いのが、有効会員数約200万人のパルコカードだ。
「PARCOカード保有者の中でも年間購買額が多いのは、日常的に食品の購入などで使っていただいている比較的高齢のお客様です。メールやアプリなどデジタルなコミュニケーションではなかなかアプローチしづらいという課題があり、鈴木さんにサポートをお願いすることになりました」と、野中氏は経緯を説明する。
現状を可視化して課題を整理し、戦略・戦術との整合性もとる
鈴木氏はまず、課題の可視化と整理のために、次のようなベン図を作成した。
(3)がPARCOカード保有者全体で、そのうちパルコ内利用が(4)。(6)はアプリ(POCKET PARCO)会員だ。アプリにはクレジットカード(他社カードを含む)を登録できるので、(4)PARCOカード保有者と(6)アプリ会員が重複する部分もある。
図中の矢印は、大分類レベルの課題を表す。たとえば、Aは「PARCOカード保有者を増やす」、Bは「アプリ保有者を増やす」、Cは「PARCOカード保有者のアプリ会員登録を増やす」、Dは「アプリ会員のPARCOカード保有者を増やす」ということになる。
また、(1)~(10)それぞれのグループごとに、金額、来店者数、登録者数など、取得可能な数値を洗い出した。これにより、現状の各グループの規模や、施策を実施した場合に期待できる効果などが見えてくる。
続いて行ったのは、会社全体の方針と課題の優先順位などにズレが生じないように、戦略・戦術との整合性を図ることだ。最終的なゴールは、パルコ全体の売上・利益を最大化すること。その実現に向けた当時CRM担当であった野中氏の戦略は、パルコ顧客の行動把握のためにID登録客を最大化することとした。戦術としては、PARCOカード顧客数を最大化することと、POCKET PARCO顧客数を最大化すること。さらに、「カードとアプリの重複を最大化すること」も含めた。
「カード保有者にはパーミッションを得ているのでDMやメールでアプローチできますし、アプリ会員には常に持ち歩いているスマホに対してプッシュ通知でいつでもメッセージや各種情報を送ることができます。両方使っていただいているお客様は幅広いコミュニケーション手段が使えるため、利用額を伸ばせる可能性も高くなります。最初にターゲットを可視化したことで、この重複する層を広げていくことが重要だという認識が社内で共有できました」(野中氏)
優先順位を設定し、課題を絞り込む
ここまで大きく整理したところで課題を細分化。さらに、それぞれの課題について「重要度」「効果」「難易度」「緊急度」といった4つの指標で優先度を設定した。鈴木氏によれば、この優先度の基準はそれほどシビアに決める必要はないが、必ず各指標で数字をプロットしていくことが重要だという。これにより、各指標の合計で機械的に課題の優先順位が決まってくる。
次の段階では優先順位の高い課題に絞り、「入会」「1年目会員」「2年目以降会員」などの顧客ステップごとに現状の施策を書き出していった。これにより、それまでの施策の重複や不足しているところを明確に洗い出すことができたという。
「ここでようやく整理がついて何をするのか決めることができ、初めてシナリオ作りに着手できる状態になりました。かなり手間はかかりますが、この準備は絶対必要なものと考えてください。これをやらないで施策を設計するのは、細い幹に巨大な実をぶら下げているようなもので、すぐに倒れてしまいます。自分はもちろん他部署の人も、あるいは担当が変わっても、『何のために何をやっているのか』を誰もがわかるようにしておくことが大事です」(鈴木氏)
詳細設計から施策実行、PDCAの継続へ
この先は、詳細設計を経て施策実行という流れになる。今後、パルコで実施予定の施策例として、鈴木氏は次のふたつを簡単に紹介した。
ひとつは、カード保有者かつ非アプリ会員向けにアプリ登録を促進するための施策だ。オファーを4種類(うちひとつは、効果測定基準用の「何も送信しない」)用意して出し分け、効果の高いオファーを調べるという。オファーを送る手段としては、まずメールを送信して、未開封の顧客にはDM+フォローメールを、開封しても反応しなかった顧客にはさらにもう一度DMを送るように設計している。
もうひとつは、カード保有者のうち初回購入から90日以内の顧客を対象とした、リピート(2回目購入の)獲得のための施策だ。ECでは一般的に重視されている施策であり、店舗購入の場合でも90日以内にリピート購入した顧客のLTVは非常に高いのだが、これまでパルコではあまり行われてこなかったことがわかり、実施することになった。こちらも複数のオファーをテストし、メールやDMでアプローチする設計となっている。
今後、こうした施策をどのようにインプリメントしていくか協議し、実行するのはさらにその1ヵ月程度先になる見込みだという。
鈴木氏によれば、「今年の秋ごろにはその先の話ができるかもしれません」とのこと。ぜひ施策実行後の成果を聞きたいところだ。