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寿司職人からデザイナーへ 異色のキャリアが生んだ「現場視点」
━━聞いたところによると、河野さんはインタビューほぼ初経験だそうですね。
河野(MAISON KAPPA) そうですね。日陰の人なので(笑)。
石川(MAISON KAPPA) でも、プロフェッショナルな仕事をしている人ほど、こういった取材やセミナーのような表舞台に出たくないと考えたり、アピール下手で表に出る機会がなかったりするケースも多いと思うんですよ。だから、今回は“表に出ない人代表”として河野にしゃべってもらい、業界内でもより多くの人にスポットライトを当てるにはどうしたら良いか、考えていきたいなと思っています。
━━河野さんは、デザイナーやクリエイティブディレクターとしてのキャリアが最も長いとお聞きしました。どこからこうしたキャリアを歩み始めたのか、ぜひ教えていただきたいのですが。
河野 地元は広島で、普通の田舎の高校生でした。地元の大学に入ったのですが、家庭の事情もあって中退し、環境を変えるためにアメリカで寿司職人になったんです。マサチューセッツ州のケープ・コッドといういわゆる避暑地で1年半ほど働いていたのですが、「カリフォルニアから声がかかったけど行く?」といわれたタイミングで自分を見つめ直すため、ニューヨークに行ってみることにしました。そこで出会った日本人と話していたら、やはり日本に戻りたくなって、一旦友達の家に居候させてもらう形で帰国したんです。
ただ、日本に帰っても孤独だし、お金もないから稼がなきゃだし、いろいろアルバイトをしてみることにしました。その中の一つ、インテリア雑貨店で働いていた時に知り合った人と意気投合して、移動式の花屋を始めたんです。ただ、原価がかかる割に利益を出せないんですよ。「これはダメだ」と思い、当時流行っていたプリザーブドフラワーをオンラインで売ろうと方向転換しました。
最初は友人のつてをたどってECサイトのデザインをお願いしていたのですが、「やりたいことを形にするなら自分たちで勉強して手を動かしたほうが良いな」と感じる瞬間があり、そこからデザインそのものが仕事になっていきました。個人仕事の延長線上で案件を受注していたら、某外資系車メーカーから依頼があり、ウェブマスターとして携わるのを機に法人化しました。それがRESORTの前身となる会社です。
石川 学校に通って専門知識をつけたわけではなく、人生そのものを試行錯誤する中でデザイナーに行き着いたと。
河野 地方に住んでいると、クリエイティブな仕事って「特別な人しかなれないもの」なんですよ。ただ、大人になってその世界にだんだん近づくにつれ、「自分の力を試してみたいかも」と思うようになってきました。最初は自転車操業でしたけど、実績を作ると出会いもきっかけも増えます。石川さんも、その中で出会った一人です。
石川 もう10年ぐらいになりますかね。
河野 そうですね。最初は「マーケター」って職種そのものを信用していなかったので、石川さんと会ったときも身構えていました。でも、「ECでどうやって勝つか」といったやるべきこと・やりたいことをわかりやすく説明してくれたし、ロジックの組み方がおもしろかったので、マーケティングやECの世界にも踏み込んでみたいと思うようになったんです。
デザインって属人化したり、再現性がなかったりするように見られますが、実はそうではないと思うんですよ。売るためのページを作るのなら、アートディレクションして良い写真を撮るだけでなく、商品説明やブランディングなどマーケティングとのかけ合わせが必須です。逆に、良い商品には過度なデザインは必要ない。“飾ることがユニーク”ではないので、そこにコストをかけるなら、もっと適切な違うところにかけようよ、と。そう疑問を抱いていたタイミングだったので、石川さんがよく話す「あるべき姿からの逆算」「再現性」といったキーワードに共感したんです。
━━王道キャリアを歩んできたわけではないからこその視点かもしれませんね。
河野 「こうあるべき」みたいなものを決めつけるなよ、という気持ちは常にあるかもしれません。
