労働環境とイノベーション 8:30〜17:00勤務、週休二日制へ
この体制変更によって、もう一つの課題にも取り組めるようになった。労働環境の改善である。
一般的に、日本酒の仕込みシーズンは長時間労働や夜間勤務が続き、杜氏の仕事は「眠らずにタンクを見張る」というイメージが根強い。だが数馬氏は「自分が歓迎できない労働環境で社員さんに働いていただくことは、自分の目指す会社像ではない」と、あえて8:30〜17:00の定時勤務と週休二日制を打ち出した。
もちろん、この体制に踏み切るには代替となる仕組みが必要だ。ここにイノベーションの種がある。タンクには温度管理のためのセンサーや自動分析装置を導入し、異常があれば携帯で通知される仕組みを整えた。
「そんな甘い考えで酒の品質を守れるのか」との懐疑的な声もあったが、蓋を開けてみると「むしろ十分な休息を取れるからこそ、醸造の精度が上がる」「新しい酒造りに挑戦しやすい」という副次効果も生まれ、2020年には世界最大級のワインコンテストである IWC(International Wine Challenge)のSAKE部門にて能登地域の酒としては初のゴールドメダル、リージョナルトロフィーを受賞。その後2023年には最高賞トロフィーを受賞するまでになった。

「お客さまに味わっていただくこと」がゴールに 自社EC開設も
体制変更の影響は働き方改革にとどまらず、社内でのコミュニケーションのあり方も変えていった。
「一言でいえば、『理念』にもとづいた酒造りができるようになりました。酒蔵はお酒を造るところなので、造って出荷するまでを重要視しがちです。でも、せっかく醸造責任者制にしたので、造るのはもちろん、それをみなさんにお届けして、味わっていただく、そこまでが自分たちのゴールとすべきだと考えました」
社員が醸造の責任者になったことで、仕込みの時期だけではなく一年中コミュニケーションが取れるようになった。このお酒を飲むのは誰か、どこで購入して、どんな場所で、どんなときに飲むのか? そんなことをイメージしながら社内で議論を重ねることで、造り方、伝え方、届け方までが酒蔵の役割として社内がまとまっていったという。
「蔵元に就任した直後は、とにかく出荷を増やさなければと営業に力を入れていました。でも、お客さまに近いところにゴールを置くようになって、実際に飲まれたみなさんからのフィードバックを得る機会の重要性に気づきましたし、そのために品番の整理や流通にもしっかりポリシーをもって臨むようになりました」
数馬氏が就任する前までは多岐にわたる銘柄を抱え、営業やマーケティングの現場でも「どれを推せばいいのかわからない」という状態が続いていたそうだ。主力商品を選定して銘柄の位置づけを明確化するとともに、醸造のラインも整えていった。直販ルートを開拓したのもこの頃だ。

「我々はあくまでもメーカーなので、酒販店さん、小売店さん、問屋さんは常に最重要のパートナーです。ただ、最終的にお客さまのお口に届けるというところを酒造りのゴールにしているので、お客さまのお声が直接聞ける機会は確保しておきたいと思っています。自社のオンラインショップはそういう役割です」
顧客の声がダイレクトに返ってくる仕組みを築き、次の仕込みや商品企画に生かす。この素早いフィードバックループは、社内の若い醸造責任者たちにとって大きな学びの場となり、結果的に新商品の開発サイクルを円滑にしている。
数馬酒造の主力商品である「竹葉(ちくは)」は、北陸地域の小売店を中心に流通しているため、販路がない地域では入手が難しいケースもある。直販ECでも購入できるようになったことで、遠方の日本酒ファンにも認知してもらうきっかけになっているという。
「不易流行」の精神で伝統と革新の酒造りを
インタビューの最中、数馬氏はしきりに「能登」という土地、そして流れる時間について言及していた。
「能登の酒造りは歴史が長いので、自然と我々の時間軸も長くなるんですよね。他の酒蔵さんたちと話していても、経営のゴールはみんな『次世代への継承』だと口を揃えます。自分たちだけがよければいいという蔵はなくて、前の世代からいただいているものから、次の世代にしっかり渡していこうと、そういう気概をみんな持っています。震災のときに助けていただいた酒蔵さんたちも、きっとそういう想いがあって手を差し伸べてくれたのだと思います」
「不易流行(ふえきりゅうこう)」という言葉があるが、技術や生活が目まぐるしく変化する現代において、どんな商売でも伝統と革新のバランスには苦慮しているはずだ。数馬酒造の経営は、これから何世代にもつなげていく長い伝統と、短期的な変化へのアップデートをどう調和させていくのか。そのヒントに溢れている。