能登半島地震からの早期復旧を実現した「ヨコのつながり」
2024年元日、能登半島を震度7の地震が襲った。石川県鳳珠郡能登町にある老舗酒蔵・数馬酒造も被災、仕込み中のタンクが破損し、その後の断水によって酒造りは中断を余儀なくされた。
「1月は“寒造り(かんづくり)”と呼ばれる、酒造りの最盛期です。そんな大事な時期に地震で酒瓶やタンクが破損、木造の蔵も傾き、その後の長い断水もあり、酒造りは完全にストップしました。社員もみな被災して動けず、能登の契約農家のみなさんからお預かりしたお米が蔵に残された状態になりました」
数馬酒造の五代目蔵元、数馬嘉一郎氏は当時をそう振り返る。

先にその後の経緯を説明すると、数馬酒造の日本酒は震災の年の2024年3月に酒造りを再開させている。そしてこの記事を書いている2025年も、数馬酒造のお酒は市場に流通し、食卓やお店に届けられている。
震災によって酒造りが止まり、社員全員が出社できたのは震災から約40日後の2月9日という絶望的な状況の中で、数馬酒造はどうして酒造りが継続できたのか。それは同業他社の酒蔵、いわばライバルたちからの支援があった。
「被災した醗酵室のタンクの中には、年始早々に清酒と酒粕に分ける上槽作業を迎える予定のもろみもありました。蔵の稼働は完全に止まっていて自力ではもうどうしようもないと諦めかけていたとき、県内外から多くの酒蔵のみなさんが救いの手を差し伸べてくださいました」

蔵も水も止まっている以上、自力での酒造りはできない。そこで行われたのが、蔵内のもろみを運び出し、別の蔵で日本酒を造るという共同醸造だった。ほとんど前例のないことだったが、支援にかけつけた酒造仲間によってもろみは無事搬出され、それぞれの酒造とのコラボレーションとして発売されている。
