奄美の伝統飲料「みき」の製造を引き継ぎ、コツコツ売っていたら…
――そもそも「みき」ってどんなものですか?
「もともと奄美で古くから、各家庭や集落で、何かの行事のときとかに飲んどるものなんですよ。お粥さん状態のお米に芋入れて、寝かせて発酵させるっちゅう飲み物で、米の発酵飲料みたいな感じ。本土で言えば、甘酒に似てるかも。子どもはできたての甘いやつを飲む、年寄りは1カ月寝かして、発酵が進んで酸っぱくなったり、アルコールが少し出始めたものを隠しとって飲む、もともとがそういった飲み物なんですよ。
それを昭和30年の後半ぐらいからかな、商売用として製造する業者さんが少しずつ出始めて、昭和40年ぐらいになると、市内でも3本指に入る業者さんが1人、後継者がいないっちゅうことで辞めることになった。僕らはもともと豆腐屋で、豆腐を作るのと同じような設備でできるし、流通はスーパーにも行ってるから、高野さんやってくれんかっちゅう話があったんです。
僕はそういった新しいことやるっちゅうってなると、些細なことでも苦労するからしたくないだったんだけども、息子や女房は、この店自体が『奄美の食文化を発信していきたい』っちゅうことがあって、奄美のためにもやるべきじゃないかっちゅうので、それに押されてやり始めたっていうことなんですよ。案の定、僕が一番苦労してるんですけどね」
――奄美だけの伝統的な飲み物だったのが、ある時全国区になってしまったわけですね。
「作り始めて3年目よね。メディアが取り上げてくれるようになって、最近じゃテレビ東京の番組で農学博士の先生が、『1ccに1億個以上の乳酸菌を含んでる、まさにお米ヨーグルトだ』と。そこから10日ぐらい、全国から依頼があって、もうてんてこ舞いだったんですよ。
僕も、発酵してるから何かにいいとは思っとったけれども、原料が米、砂糖、サツマイモでしょ。豆腐ほど絶対よくないよなっちゅうのがあってね、体に。だから、あんまり宣伝して一生懸命売ろうっちゅう気にもなれんかったわけよ。今は、そんなに体にいいんだったら、もっと頑張って売ろうやっちゅう格好になってね、そんな感じです」