本記事は『EC起点の事業変革 博報堂式 ECから始める、これからのマーケティング』の「第1章 EC事業がうまくいかない五つの理由」から抜粋したものです。掲載にあたって編集しています。
失敗する理由(1)~「絵に描いた餅の事業計画づくり」~
「経営層に言われて……」
「経営層に言われて、とりあえず立ち上げ初年度で10億円の売上、営業利益を1億円くらい出す予定なのですが」
EC事業立ち上げの初回のお打ち合わせで、こうした趣旨のオリエンテーションを受けたことが何度かあります。そして実際に作られている事業計画を見ると、こんな数字が並んでいます。
- 3年目30億円、営業利益5億円
- 5年目100億円、営業利益20億円
- 10年目300億円、営業利益65億円
- ……
華やかでワクワクするような理想的な事業計画ですが、残念ながらこのような「垂直立ち上げ、高売上かつ高利益」な事業計画は「絵に描いた餅」であり、それを実現できる確率は非常に低いです。
もちろん、よほど資金力があり、もともとブランドにたくさんのファンがいて、なおかつ商品製造原価率が低い、という条件であれば可能かもしれません。しかし、そうした条件をクリアしていることはほとんどなく、多くの企業は事業スタート後に計画の修正を求められます。
このように多くの企業がスタート地点である事業計画を作るところで大きく方向性を間違えた結果、最終的に失敗の道を歩んでしまいます。
なぜ、こうしたことが起こってしまうのでしょうか? 我々は二つの理由があると考えています。
ECビジネスは初期投資型である
一つ目は「ECビジネス」そのものへの理解不足です。
まず、自社ECビジネス立ち上げに必要なものを想像してみてください。システムや物流の構築、商品ページやLP、バナーといった様々なデザイン物、初期顧客の誘客コストなどなど……挙げていけばきりがないほど、かかるコストは多岐にわたり、初期投資は莫大になります。
また、自社ECビジネスがリピートしてもらうことで売上を立てていくモデルである以上、顧客数の少ない立ち上げ初期はなかなか売上のトップラインも上がっていきません。
一方でECモールはどうでしょうか? ECモールへの出店・出品は自社ECビジネスと比べるとシステム面での初期コストが低い一方、出店手数料など別のコストがかかり、モール内での販売実績を積み重ねるまでは、売上面でも利益面でも課題を持ちます。
このように自社EC・ECモールともに、発売初期は初期コストと売上のバランスが悪くなりがちで、低売上・低利益(場合によっては赤字)から始まるケースが多くなります。流通への交渉力とプロモーションの力次第で、立ち上げ初期から垂直立ち上げが可能なオフライン小売のビジネスとは、大きく異なっています。
逆に、こうした壁を乗り越えた先では、顧客と直接コミュニケーションを取れるECビジネスならではのロイヤル化が可能になり、高LTV型ビジネスモデルに転換することで利益率が大幅に良化していきます。
このように、初年度から売上と利益を垂直に立ち上げるビジネスモデルではなく、ECビジネスは徐々に成長していく初期投資型モデルであることをきちんと理解し、初年度は場合によっては利益がほとんど出ない「種まき」の時期としてとらえる必要があります。
「市場全体」の成長率だけで判断しない
二つ目はビジネス設計の描き方です。
よくある「絵に描いた餅」の事業計画がどのようにできているかを紐解くと、多くの場合、「作りたい売上」を置いたうえで、「どの程度市場シェアを取れるか?」という既に市場と棚がある前提での店頭マーケティングのやり方で作成しているケースが多いです。
例を挙げると、「A社としては、〇億円の事業を作りたい」「A社のカテゴリには、〇百万人のターゲットがいると想定され、そのうちの〇%のシェアを獲得できるため、〇億円の売上に到達する」といった作り方です。これは「マクロ視点」の事業計画と言えます。
この考え方自体は、まったく否定すべきものではありません。自社の事業目標を設定すること、広い意味でのターゲットポテンシャルを探ることは重要です。
ただし、これだけでは抜け落ちてしまう視点が「どうやって、そのユーザーを獲得していくのか」「販促費と顧客獲得単価(CPA)のバランス」といった積み上げ型の事業計画です。これは「ミクロ視点」の事業計画と言えます。
自分たちで積み上げ型の計算をしてみると、「マクロ視点」の事業計画では見逃していた穴に気付くことができます(例えば、「市況の数百倍の効率で顧客を獲得しないと、成立しない事業計画になっている」など)。
マクロとミクロ、この両方の目線がないと、各社の作る事業計画はまさに「机上の空論」となってしまいます。
失敗する理由(2) ~ 多様化する生活者ニーズへの理解不足~
「自分がユーザーなら、オンラインで買うか」考えてみる
次によくある失敗理由が「生活者ニーズに対する理解不足」です。
スーパーマーケットやドラッグストアを基本の流通経路としている消費財メーカーから、ECビジネス立ち上げについて下記のような相談を受けたことがあります。
「今までドラッグストアなどで販売していたブランドを、自社ECサイトで販売しようと思う。卸先との関係性もあるため、自社ECサイトで新しい商品を出したり、同じ商品を値下げしたりすることは厳しい。そのため、現行品と同じものを、流通価格を超えない金額で販売しようと思うのですが、どうでしょうか?」
いかがでしょう? 実店舗に行けば手に取って確認でき、ほとんどの場合オンラインより安く買えるものを自社ECサイトで買おうと思いますか?
もちろん実店舗で買える場所が限られていたり、持ち運びが面倒な場合、ECサイトで買おうと思うかもしれません。しかし、それ以外のケースでは、そのままECサイトが選択されることはほとんどありません。
オフラインと同じ商品を自社ECサイトで販売する場合、「コスト面」でも「体験面」でも「商品面」でも、何かしらオンラインで生活者が買いたくなるポイントを作ることが重要です。
こうした「もし自分が顧客だったら」という視点が抜け落ちたまま事業が設計されるケースが非常に多いため、事業者は自分に「自分がユーザーならオンラインで買うか?」と問いかけ続けることが重要です。
多様化する生活者ニーズ
また、生活者のニーズが多様化しているからこその苦悩もあります。こんな悩みをお聞きしたことがあります。
「今までビジネスがうまくいっていたのに、この一年で急に新規ユーザーが獲得できなくなり、顧客離脱も増えている。マーケティングのやり方を変えているわけではないのに……」
こうした悩みは、得てしてECビジネスできちんと成果を残してきた企業にこそ見られるものであり、何が課題なのかを解明する前に、シェアを競合他社に奪われてしまうケースが多いです。
これはなぜ起きるのでしょうか? 例えば、「ダイエット対策」を目的とした食品で考えてみましょう。今までは、「ダイエットにお悩みの方へ!」という売り文句で売れてきたものがあったとします。ところがダイエットに対する生活者のニーズも多様化しており、ただ「痩せたい」だけでなく、「ボディバランスをよくしたい」「小顔になりたい」といったように、ダイエットに対する生活者のインサイトは人によってそれぞれです。
そこを理解せずに、従来型のターゲット理解と普遍的な訴求を続けていると、それぞれのニーズにきめ細かく応える商品やサービスができれば簡単に代替されてしまいます。
オンライン・オフラインでいろいろな情報に接触し、生活者のニーズが多様化する現在では、その変化のスピードも激しく、またどんどん細分化されています。
これまで自社商品を頻繁に購入してくれていた生活者であっても、この先も買い続けてくれるとは限らないことを理解しましょう。ECビジネスを成功させるには、市場と生活者の求めているものへの理解を更新し続ける姿勢が必要です。
失敗する理由(3) ~ 顧客とのつながりの設計不足~
CRMに関する大きな誤解
規模拡大に苦しむECビジネスに特徴的な失敗理由として「CRM(Customer Relationship Management)」についての、「大きな誤解」が挙げられます。
一般的な定義として、CRMは「顧客とのつながりを意識したマーケティングを行うことで、一人のユーザーのLTVを高めていくことを目指す活動の総称」を指します。
ECビジネスではこのCRMが鍵になっていて、どれだけ獲得したユーザーを長期的に満足させ、長く商品を買ってもらう関係性を築くかが重要です。では、「CRMについての誤解」とは何でしょうか?
実際にあったケースをご紹介します。新規顧客は順調に獲得できているものの、LTVがなかなか上がっていかない企業からご相談を受けました。理由を調べるために、マーケティング担当者の方にどんなCRM活動を行っているかを聞くと、次のような返事をいただきました。
「うちはめちゃくちゃCRMをやっているんですよね。アップセルやクロスセルを促すメールをたくさん配信しているので! そこに全力投球しています。」
実際にCRM活動の詳細を確認すると、確かに商品の継続購入を促すメールが大量に配信されていました。しかし、それ以外の活動、例えばブランドの価値を伝えるためのコンテンツづくりや会員制度の拡充、ロイヤルユーザーに向けた還元施策などはまったく用意されていませんでした。
つまり、この企業はCRM=販促メールととらえ、それ以外の顧客とのコミュニケーションを取っていませんでした。結果、顧客の心が離れ、LTVの上がらない事業を作ってしまっていたのでした。
こうしたケースは、少なくありません。世に流通する「売上を上げるCRMテクニック」といったものに目が行き過ぎた結果、CRMを「ユーザーにものを買わせ続ける活動」と考えてしまう「誤解」に行きつき、ビジネスを失敗させてしまう。策士策に溺れるとは、このことでしょうか。
中長期的に、どういう顧客とのつながりを実現するか?
では、ECビジネスにおけるCRM活動をどう考えればいいのでしょうか?
私は、事業者とユーザーの間での「中長期での深いつながり」を実現する活動がCRMだと考えています。
長年のファンを多く抱えるブランドをイメージしてください。商品の持つ良さが十二分にユーザーに理解されているだけでなく、ユーザーとブランドの間に良好な関係性があると思います。
売上を上げるための小手先のテクニックに終始するのではなく、ユーザーとのつながりを強固にすること。そこに顧客とコミュニケーションを取りやすいECビジネスならではのやり方を足していくことで、ユーザーの一人頭のLTVが上がり、最終的に売上はついてきます。
具体的なCRM戦略の立て方や成功の秘訣は本書後半にて、事例とともに説明します。
失敗する理由(4) ~ システムとフロントの隔たり~
「なんでそんなシステムを入れたの?」
私が様々な事業のコンサルティングを行う中で実感しているのは、ECカートシステムをはじめとするフルフィルメント領域(ECや通信販売ビジネスにおける受注から発送までの一連の領域)にまつわる設計の難しさです。
失敗に陥ることの多いシチュエーションが、「自社EC用カートシステムの選定」です。例として、ここではある新規D2Cブランドのお話をしましょう。
このブランドの事業立ち上げ初年度の目標は、「5,000万円の売上」でした。最低限の営業利益を確保しながら、デジタル広告のPDCAとサイトやバナー広告における訴求テストをスピード感を持って行うことで、次年度以降の勝ち筋を見つける計画です。
ところが、導入したECカートシステムは「スクラッチ型」と呼ばれる、サイトごとにカスタマイズが可能な一方、システム構築や改修にコストと工数がかかるものでした。そのため、サイト内のページ更新・改善のPDCAを回すためには、コストも労力もSaaS型のサービスと比べてかかってしまいます。
事業を始めてみると、目標の売上以上にシステム費がかかってしまい、予定していたテストはほとんどできず、最終的にビジネスはクローズすることになりました。
この話を読んで、「なんでそんなシステムを入れたんだ!そんな話、ありえない」と思われる方もいらっしゃると思いますが、実際に私はそうした状況をいくつも見てきました。
そこには、「様々な問題に対処する中で、本質が見えづらくなっていく」実情がありました。
ECビジネスは分業制では成り立たない
このような失敗はなぜ起こってしまうのでしょうか?
一番の原因は、企業組織における分業制(セクショナリズム)にあるのではないか、と考えています。
先ほどのケースでは、ECビジネスにおける「フロント」担当としてブランドを管理するマーケティング部門と、「バックヤード」担当としてシステムを管理する社内の情報システム部門の間で、認識のすり合わせがなされていませんでした。いわゆる「縦割り組織」というものです。
情報システム部門のメンバーは、「セキュリティの強固さ」「社内基幹システムとの連携性」「会社全体でのシステム導入状況」などの要素を優先します。そのため、「サイト更新のしやすさ」「コストの安さ」などが優先され、マーケティング部門が「事業成長において重要なポイント」と考えているものが後回しにされた状態でシステムが導入され、悲劇が起きてしまうというものです。
これに関しては「どちらかの部門が間違っている」というものではなく、双方の部門のメンバーがお互いの優先事項をきちんと理解したうえで、「事業全体としての優先順位」を整理してシステム設計に臨んでおけば避けられた事態です。
しかし残念ながら、複雑な組織体制や、マーケティング部門のメンバーのシステムへの苦手意識が原因となり、実際に事業がスタートしてから問題が顕在化するケースが非常に多いです。
失敗する理由(5) ~ 目的化するデータ活用~
「データを取るためにECを始めましょう」
EC事業立ち上げの目的として昨今よく耳にするのが、「データを取るためにECを始める」というものです。
ECサイト、特に自社ECサイトにおいては、性年代などのデモグラフィックデータをはじめ、購買行動やサイト回遊状況などの行動データに至るまで、様々なデータを自社の持ち物にすることが可能です。さらに、SNS上でのデータや自社の別事業の会員基盤と突き合わせることで、高度なデータ分析・活用が可能になります。
Cookieの規制など1st Partyデータを持つことの重要性が増す現在、ECサイトは各社にとって、データ収集・活用の最前線としての役割が期待されています。しかし、手段と目的がいつしか入れ替わり、データを取ることだけが目的になったECビジネスが増えています。
また忘れてはならないのは、「ECビジネスの売上や利益を考えると、事業規模に見合わない高度なデータマーケティングは、ある程度の顧客リストがたまらない限り不要である」という点です。少ないサンプルから導き出した仮説は精度が低く、またそうしたデータ活用のためのシステム費に予算が割かれることで、事業の立ち上げ時に確保すべき顧客獲得費が削られてしまい、事業がスケールせず、データマーケティングも効果を発揮せず……という悪循環を生むケースがあります。
実際に私が見たケースでは、事業立ち上げ直後から、高度なデータ基盤やMAツールの導入にマーケティング投資の軸足が置かれ、肝心要の顧客獲得活動を満足に行えず、売上が伸びなかったことで事業全体が失敗したものがあります。
当たり前の話ですが、ECに限らずビジネスの目的は売上や利益を生み出すことです。データ活用は売上や利益を生み出すための手段であり、それが目的化すると、こうした悲劇が起きてしまうのです。
データは生活者に還元するために使う!
そして忘れてはいけないのは、ECサイトに来る生活者にとっては、自らの生活にまつわるデータを事業者に提供すること自体、心理的負荷が非常に高いという点です。事業者目線で考えていくと、「取れるデータはなんでも取りたい」となりますが、生活者目線では「できるだけデータは渡したくない。情報漏洩されたら怖い」という発想になります。
そのため、取得したデータを使って、きちんと生活者にメリットを還元することを心がけることが重要です。例えば、化粧品のECサイトで、各個人の購買情報と肌タイプに合わせてパーソラナイズされたメールマガジンを配信することで生活に有益な情報が得られれば、顧客は「データを提供してよかった」と感じてくれるでしょう。生活者にとってのメリットとデメリットの天秤を思い浮かべ、データ活用を設計すること。そして、前項で述べた通りデータ取得自体を目的化しないこと。この二つを忘れてはいけません。
以上、日本のECビジネスの変遷と、その中でよく見られる五つの失敗理由について掘り下げました。
「自分の会社は大丈夫」という方もいれば、「あ、このケース経験したことあるな」という方もいるかもしれません。大事なのは、こうした先人たちの失敗から学び、少しでも成功確率が高いビジネス設計を行うことです。
本書『EC起点の事業変革 博報堂式 ECから始める、これからのマーケティング』では、そうした失敗を起こさず、成長するECビジネスを作るためのHAKUHODO EC+ならではの考え方を紹介します。