「日本人だろ、信用するよ」 時計の越境ECで脱サラ
――はじめに、小林さんがECビジネスに入られた経緯を教えてください。
はじまりはインターネットが普及しはじめた2000年前後です。海外の時計好きが集まる「ジャパニーズ・ウォッチ」フォーラムのサイトで、よく時計の話をしていました。他に日本人はいなくて、日本の時計についての質問に答えたりしているうちに、時計を買って送ってよと頼まれるようになったんです。
当時はサラリーマンでシステムエンジニアをしていたので、会社帰りに量販店などで時計を買って、郵便局から送っていました。アメリカを中心にシンガポールやマレーシアの人もいて、週2回くらい送ってましたね。eBayで出品もしていました。当時そんなことをやっている人は他にいなかったと思います。
――もともと時計が好きで詳しかったんですか?
好きでしたけど、専門家といえるほどでもなかったです。どちらかというと海外の人とコミュニケーションを取りたくて、そのためのツールが時計でした。
――ネットでしか知らない人に高額な時計の購入を頼むのはなかなかハードルが高く感じますが、信頼を得られたのはどうしてだと思いますか?
「日本人だろ、信用するよ」と言われたのを覚えていますね。日本人は正直で信頼できると何人かに言われました。eBayに出品していたのもあると思います。
ペイパルもない時代で支払いは郵便為替を使うのですが、小切手が送られてくることもあって換金が手間でした。それでも日本で8,000円の時計が1万5,000円で売れたりして、サラリーマンとしてはびっくりですよね。当時はセイコーも、海外向けはグレードの低いものが中心で、グランドセイコーも日本だけでした。日本から海外に持って行けば、価値がぜんぜん違うんだなと感じました。
――最初からしっかりニーズを把握されていたんですね。
ニーズを把握していたというより、時計が好きな人の世界が狭かったんです。当時はフォーラムに有名な作家さんがいたり、大学教授がいたり、ある意味で高尚な趣味だったんですよ。
――当時はインターネット自体がそういうものだったというのもありますね。
そうですね。その狭い範囲で少しずつ口コミが広がっていきました。その後、フォーラムで知り合った友達に「Eコマースのサイトを作ったら」と言われたのをきっかけに、2003年にショップを立ち上げました。
最初はサラリーマンと兼業でしたが、ひとりでこなせない量になって2年後に独立しました。サラリーマンのほうがお金は稼げるけど面白いのはこっちだということで、えいっと会社を辞めて。42歳くらいのことです。
――サラリーマンを辞めるのも大きな決断ですよね。
当時、サラリーマンも成果主義になってきていましたが、評価のありかたがおかしいなと感じていました。時計の販売は売れるか売れないか、成果がダイレクトです。誠実に対応すれば喜んでもらえますし、口コミでどんどんお客様が増えていくのが面白かったんですね。