「能楽」を世界に伝えたい!インバウンド客向け「能楽体験」とは
松本 皆さん、能楽と聞いてどんなイメージをお持ちですか? これまでいろんな方に能楽のイメージを聞いてきたのですが、「よく知らない」とか「眠たくなる」というイメージが非常に多いです。私が言うのもおこがましいのですが、能楽は敷居の高いものと思われがちですが、もっと身近に触れられるようになったら、世の中に広まるんじゃないかと思っています。
そんな思いを抱き、日本人だけでなく外国人に向けた能楽体験などを日々行っています。もっと世間的に能楽の知名度を上げることができれば、ビジネス的にも広がりを見せてくるんじゃないでしょうか。
――そもそも松本さんは、能楽をされていたのですか?
松本 私は大学で能楽研究部に入りました。しかも安易な理由なのですが、能楽研究部の先輩に勧誘されて、新入生歓迎会でお酒をおごってくれるというのでついて行ったところ、その場で入部届を書かされました(笑)。とりあえずの入部でしたが、能楽について何も知らないのは嫌だったので勉強しました、Wikipediaで(笑)。
もちろん、私自身も京都に中・高と6年間通い、普段から着物などに触れる機会が多かったり、子どもの頃、将棋が好きでプロの先生が「扇子」を持ちながら将棋を指す姿がかっこよくて、「扇子」を集めたりしていました。どこかで和の世界感が好きだったのかもしれません。ある時、高校の同級生に「大学では能楽研究部に入った」という話をしたら「正気か?」と言われましたけど(笑)。
ただ、先生や先輩が能を舞っている姿を初めて見た時は本当に感動しました。20kg以上の装束と視界の狭いおもて(お面)をつけて、頭の位置を変えずに、すり足で歩く姿が信じられなかった。自分もこういう風に舞えるようになりたいと思い、稽古に没頭していきました。本当の意味で能楽を楽しいと思ったのは、能楽部に入って2年が経った頃でした。難しい曲もできるようになってきましたし。
――大学でどんどん能楽の世界にハマっていったんですね。
松本 そうなんです。気づけば関西学生能楽連盟の委員長を2年務めていました。最後の舞台では無料ではありますが、350人の方が能楽を見に来てくださいました。そういったこともあり、実はプロの能楽師になりたかったんです。ただ、10年間は安定した給料という形で報酬を得るのは難しいらしく……。もちろんお小遣いやお手伝い賃というものはあり、食べることはできるのですが、さすがに親に言い出せませんでした。一度、冗談交じりで「プロの能楽師になろうかなー」と言ってみたところ、「あんた何言ってんの!」とピシっと反対されました(笑)。
それならばということで、一度、着物レンタルの会社に就職しながら、能楽のさまざまな仕事のお手伝いを4年間させていただきました。しかし、このままでは「能楽を世界の人達に発信することはできない」という思いから、M-Y-Tという名前で「能楽の体験」ビジネスをスタートしました。ちなみにM-Y-Tは、私の名前の(M)松本(Y)祐毅に、トラディショナルとトラベル、つまり私の伝統文化の旅を紹介するという意味があります。まぁ、後付けなんですけれども。