2018年5月にアドビが買収を発表したことも大きな話題を集めた、ECプラットフォーム「Magento」。アドビはこの買収の目的について、「Magento Commerce Cloudが組み込まれることにより、コマース機能がAdobe ExperienceCloudにシームレスに一体化され、B2BとB2C 両方の世界中のお客様に単一のプラットフォームを提供できるようになります」とプレスリリース上で発表した。
Magentoが世の中に発表されたのは2008年。アメリカのカリフォルニアで、オープンソースのプラットフォームとして開発されたのが始まりである。だが正式にリリースされる前から、Magentoの動向に注目していた人物がいる。2016年から3年にわたってMagento Master Makerにも選ばれている、ベリテワークスの西宏和さんである。10年以上にわたってMagentoの開発や導入支援に携わってきた西さんは、今回のアドビによる買収をどのように感じているのだろうか。Magentoの活用法はもちろん、導入前に知っておきたいシステム選びのポイントなどについて、話を聞いた。
2007年のβ版リリースから振り返る「Magentoにムーブメントの予感がした」
Magentoが正式に発表されるそのさらに1年前。2007年にMagentoのβ版がリリースされた。当時のことを西さんはこう振り返る。
「Magentoの開発を最初に手がけていたエンジニアたちは、もともとオープンソースのEC サイト構築システム『osCommerce』や『Zen Cart』をベースにしたEC サイト開発を行っていました。彼らが案件に関わる中で感じていた課題を解決するべく作ったのが、Magentoです。Magentoでは、β版がリリースされた時からすでに、多言語多通貨マルチサイトへの対応ができていたことにとても驚きました。と同時に、Magentoがこれから大きなムーブメントを起こすのではないかと感じたのを覚えています。2008年3月に正式版がリリースされるとコミュニティも巨大化し、導入企業もどんどん増加していきました。しばらくすると、eBayが当時まだ傘下だったPayPalを通じて資本出資をするようになったのですが、そのあと突如eBay自身が買収するという話が持ち上がって。そういった点でも、Magentoは注目を集めていました」
西さんはMagentoに大きな可能性を感じていたが、当時働いていた会社の中でMagentoに関わっていくのは難しいと判断。独立を決意し、ベリテワークスの代表取締役である浅賀桃子さんと、2014年の夏に会社を立ち上げる。浅賀さんが生業としていたのは、メンタルカウンセリング。ECサイト構築にまつわる導入支援サービスとはまったく異なる業種だが、このふたつを現在も柱に据えている。この点も特徴的であるが、ベリテワークスのサイト構築を語るうえでもうひとつポイントがある。「Magento以外の製品を扱っていない」という点だ。
「他の製品やプラットフォームを扱っている開発会社もありますが、弊社が提供しているのは現時点ではMagentoのみ。Magentoを使ったサイト構築や運用、トレーニングに専念しています。ここまでMagentoにどっぷり、というのは日本では珍しいのではないでしょうか」
多言語・多通貨が特徴のMagento を
国内のみでEC を展開する企業が導入する理由
2008年のリリース当初から今まで、長きにわたってMagentoを表してきたのはやはり、「多言語・多通貨」という言葉であった。「昔ほど優位性があるとは思わないのですが」と西さんが前置きしたうえで挙げたもうひとつの特徴は「マルチサイト」。2008年からすでに 、ひとつのインストールで複数のサイトを運営することが可能であった。さらに先日発表されたメジャーバージョンアップにより、ここに新たな軸が加わることになりそうだ。新しくリリースされたMagento2.3系では、複数の場所で在庫管理を行うことが可能になる。
「これにより、たとえば日本と東南アジア、北米と欧州など、別々の場所の在庫を、別々に管理することが可能になったり、もっとも近いところから在庫を発送するなど、今までより凝った在庫管理を行うことができます。『多言語・多通貨・マルチサイト』に加えて、今後は複数在庫の管理もMagentoの特徴になっていくはずです」
リリース当初より多言語・多通貨に対応しているからか、「Magento=越境EC」というイメージを持っているEC 事業者も多いだろう。だが、実際に利用しているのは、必ずしも海外展開を行っていたり、それを視野に入れている企業ばかりではないという。
「もちろん越境ECを行っている企業さんもいますが、国内向けにのみ展開しているケースもとても多いです。また旅行代理店のように、国内で事業を行っているけれど、インバウンド向けに英語表記のみでサイトを構成しているという事業者さんもいらっしゃいます。特に、越境ECをやりたい企業さんばかりというわけではないんですよ」
とはいえ、国内向けに展開している会社では、Magentoの魅力のひとつである「多言語・多通貨」があまり利点とならないこともあるだろう。そういった事業者は、Magentoのどんな点にメリットを感じているのだろうか。西さんはそれを以下のように分析している。
「ひとつは、商品点数のキャパシティではないでしょうか。Magentoは、万単位の商品データを扱うときも、特に難しいチューニングなくさばくことが可能です。そのためMagentoを活用しているお客様の中には、商品点数が7万点くらいある釣具屋さんや、月間のトラフィックが130テラにのぼるという方もいらっしゃいます。先日弊社の担当に聞いたところ、そのお客様のサイトでは、瞬間のユニークユーザー数が5,300を超えていたそうです。それくらいのトラフィックをさばけるという点に魅力を感じていただいているケースは多いと思います」
有償版「Magento Commerce」とオープンソースの違い
基準となる年商は?
Magento にはオープンソースだけでなく有償版のMagento Commerce(以下、Commerce)も存在する。そのどちらも設計は同じであるため、ECの機能に大きな違いはない。「多言語・多通貨・マルチサイト」といったMagentoならではのメリットはそのどちらでも享受できるが、管理やマーケティング、プロモーションなどの面で、Commerceのほうが優れている部分もある。たとえばCommerceでは、時間を指定した商品価格などの表示の差し替え、カウントダウンティッカーの表示などの機能が標準搭載されているため、12時になったら通常価格からキャンペーン価格へ変更するといったことに対応できるが、オープンソースのMagentoにそういった機能はない。どちらにも一長一短があるように思うが、Magentoの利点を最大限活かすためには、EC 事業者はどちらを選択すればいいのだろうか。
「今お話ししたような、コンテンツのタイムリーな更新が必要になる場合には、Commerceをお使いいただくのがいいかと思います。規模で言えば、年商1桁億いくかいかないかくらいのECサイトでしたらオープンソースでも十分耐えられると思いますが、2桁億を超えてくる場合にはCommerceを検討していただいたほうがいいかもしれません。先ほど申し上げた130テラ流れているECサイトは、Commerceを使っています。ですが最終的なジャッジとしては、Commerceでなくてはならない強い理由があった場合に、その両方を俎上にのせるのがおすすめです。実際のランニングコストにも関わってくる部分ですので、慎重に検討していただければと思います」
日本だからこそ気をつけたいシステム選びのポイント
アドビの買収には「期待が大きい」
ここでMagento 一筋12年の西さんに、ECプラットフォームを選ぶときにおさえておきたいポイントについて聞いた。ひとつめは、「事業における海外展開のウエイト」である。
「リプレースを検討される時には色々な軸があるかと思いますが、日本だけで事業が完結するのか、海外に向けてやっていくのかという点がひとつ基準になると考えています。また海外展開も行っていくという場合に、どれだけ本腰をいれて取り組んでいくのかによっても、大きく変わってくるのではないでしょうか」
また日本においては特に、「自社に適したシステムであるかを何より大事に考えてほしい」と西さんは強調する。
「残念ながら、このシステムを使ったら必ず売上が上がるという万能なものはありません。ですので、各EC 事業者さんが提供している製品の特性や、これから展開していきたいサービスとシステムの特性がしっかり合致しているかをまずは見極めること。この点を特に意識していただきたいです。そのうえで、本気でECを伸ばしたいと考えている方、かつ、できるだけシステムをあるがままの形で導入してアップデートする、という方向に舵を切れる方は、Magentoが向いているのではないでしょうか。あれもこれもと機能をカスタマイズしすぎたために、肝心のアップデートができなくなってしまっては本末転倒です。まずは、できるだけシンプルにMagentoを導入していただいて、必要な部分は運用しながら見極めていくという姿勢で活用していただくことが、Magentoを最大限に活かすポイントだと思います」
この2018年を振り返ると、Magentoにとってアドビによる買収のインパクトが大きかったのではないか。そう尋ねると、「やはり今年の中で、特に大きなトピックでした」と西さんは話す。長年Magentoに携わってきた西さんに、この出来事はどのように映ったのだろうか。
「データ解析やコンテンツのパーソナライズといった、今までだとひと手間二手間かかっていた作業をより簡単に行うことができるのではないかと考えています。そういったパワーアップは、Magentoのプラットフォームとしての魅力を加速させることにも繋がっていくはずです。ですので、今後Magentoの3系がリリースされる時があれば、何かとんでもないものができるのではないかと僕自身も期待しています。コンテンツを作る人達とそのユーザーさんが今まで以上にいい形で繋がることができればと思っています」
「多言語・多通貨・マルチサイト・複数在庫の管理」といった武器をもったMagentoは、これからどんな進化を遂げていくのだろう。ECサイト構築の枠にはおさまらない、顧客体験すらも変えるようなものになっていくのだろうか。だが、どんなにその性能が変わっていったとしても、「自社のサービスや製品を理解し、それに合ったツールを導入すること」がひとつのシステム選びの大きな判断軸であることはきっと変わらない。自社のシステムがサービスや製品にしっかりマッチしているかどうか、今一度見直してみてはいかがだろうか。