50周年迎えたSAP 新CEOが初リアル登壇
まずは、SAPが2022年5月10日~12日にかけて開催した「SAP Sapphire 2022」の様子をお伝えします。2019年を最後にオンライン開催が続いた同イベント。コロナ禍の最中の2020年に、Christian Klein氏がCEOに就任しました。同氏は今回のイベントがCEOとして初めてのリアル登壇です。
同氏は就任以来、「サステナビリティ」「デジタル変革」「サプライチェーン」の3つの柱から大きなビジョンを描き、製品を発表しています。SAP Sapphire 2022では、これらに沿ってSAPが描く次世代のエンタープライズシステムを説明しました。
中でも、デジタル変革のための一括サービスとして2021年初めに発表した「RISE with SAP」は、同社がオンプレミスからクラウドに変革を遂げるという点で要となる製品です。移行が難しいERPをクラウドに移行する、そしてビジネスの変革も同時に進める狙いを持ち、SAPは2021年にビジネスプロセスマイニング(BPM)「Signavio」を買収しています。BPMは自社のプロセスの現状を把握できる「レントゲン」にたとえられることが多いですが、活用によりプロセスの無駄な箇所の分析や改善のシミュレーションが可能となります。Klein氏によると、RISE with SAPは発表から1年超で2,000社以上が導入しているそうです。
ビジネスネットワークは、電子調達・購買のプラットフォーム「SAP Ariba」を中心に、企業間の取引から物流までの機能を持つクラウドサービス「SAP Business Network」を紹介。世界190以上の国から数百万もの企業が参加する同サービスを、Klein氏は「BtoBのLinkedIn」と形容します。
コロナ禍や2021年のスエズ運河封鎖事故、2022年以降のウクライナ・ロシア情勢によりサプライチェーンは大きな打撃を受けています。SAP Business Network活用により、「柔軟で回復力があり、エンドツーエンドのサプライチェーンを構築できる」──これが、SAPのメッセージです。また、同イベントではAppleとの提携を拡大し、位置情報、コンピュータビジョンを使った倉庫スタッフ向けアプリの共同開発などについても発表しています。
サステナビリティについては、Klein氏ら若いSAP幹部にとって思い入れの強い分野です。2021年に発表した「SAP Sustainability Control Tower」によって、企業がサステナビリティ指標を測定・管理できる状況を作り上げることがSAPの戦略の柱であり、人事の「SAP SuccessFactors」や経費計算の「SAP Concur」、前出したSAP Business NetworkにCO2排出量などといったサステナビリティ関連指標の組み込みを進めています。これにより、企業は特別なことをせずともサステナビリティに取り組むことができるという戦略です。
Klein氏は、「測定していないものは改善できない」と語ります。SAPは「売上高(トップライン)」「損益(ボトムライン)」に加え、環境など社会に関する数値を「グリーンライン」として公開することを提案。同社は各種財務指標に加えて、CO2排出量や女性活用などを「Integrated Report」にて公開しています。
同イベントでは、環境、ダイバーシティなどを担当する最高サステナビリティ責任者Daniel Schmid氏に取材をすることができました。ちょうど日本で社会的影響力を持つ人によるセミナーでの若い女性を蔑視する発言が話題となっていたため、アドバイスを求めたところ「組織の多様性とインクルーシブな文化が必要なのでは」とのことでした。
さて、3年ぶりのリアル開催となった同イベントは、スタイルを変えています。例年同様、アメリカのオーランドをメインとしながらも、全世界8都市で開催されました。2022年7月には東京でも6ヵ所めとして開催されましたが、これはコロナで移動がままならない顧客やパートナーのことを考慮し、SAPが近くに行こうという考えがあるそうです。メイン会場には約6,000人が集結。来場者数は例年の半数程度ですが、フロア面積は例年どおり。つまり、密を避けることができました。
私は、同イベント参加のために3年ぶりにアメリカに行きました。行きの飛行機ではマスクを着用している人ばかりでしたが、アメリカに着き、国内線に乗り換えた際にはマスク着用者が圧倒的に少ない状況で驚きました。イベントでもマスクをつけた人は少数派で、場内にも思っていた以上に消毒液などは設置されていませんでした。当時のルールでは、帰国時にPCR検査をアメリカで1回、日本の空港で1回しなければならず、もちろん陽性の場合は帰ることができません。そのため、マスクと消毒ジェルの持ち歩きは必須でした。